不正競争防止法
2026/07/22 2026/07/28

シェ ピエール事件を読み解く――東京の小さなレストランが全国販売のワインを止められなかった理由

東京都港区に一店舗だけあるフランス料理店「シェ・ピエール」。そこに、サントリーが「シェ ピエール(CHEZ Pierre)」という名のワインを全国で販売し始めたら――皆さんならどう思うでしょうか。

「これは便乗だ」「店の名前が勝手に使われている」と感じるのが自然な反応かもしれません。しかし、不正競争防止法(不競法)の世界では、それだけで差止めが認められるとは限らないのです。

本稿で取り上げるのは、不競法2条1項1号の周知性をめぐり、原告表示の周知性が地域的にどこまで広がっているかという論点を浮き彫りにしたシェ ピエール事件(東京地判平成21年5月14日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト 平成20年(ワ)第2305号、判例集未登載)。被告サントリーの営業地域は全国、原告レストランは東京都港区の一店舗だけ――この非対称な構図を裁判所はどう処理したのかを解説します。


地域的範囲の判断構造
地域的範囲の判断構造

1 不競法2条1項1号の構造――「周知性」と「営業地域」

1.1 商品等主体混同行為とは

不競法2条1項1号は、「他人の商品等表示として需要者の間に広く認識されているものと同一若しくは類似の商品等表示を使用」して、他人の商品等と混同を生じさせる行為を不正競争として規律しています。

ここで要件となるのが、

  • 商品等表示性:原告の表示が出所識別機能をもつこと
  • 周知性:その表示が「需要者の間に広く認識されている」こと
  • 類似性:被告表示が原告表示と類似していること
  • 混同のおそれ:商品・営業の主体について混同が生じる客観的可能性があること

1.2 周知性の二つの軸

周知性には実は二つの軸があります。

  • 人的範囲:どんな需要者層に知られているか
  • 地域的範囲:どの地域で知られているか

そして、「被告の営業地域」と「原告表示の周知地域」が重なる場合に初めて混同のおそれが生じる――これが本号紛争の基本構造です。被告が大阪でしか営業していないなら、原告表示が東京で知られていても混同は生じません。

1.3 従来の典型事案

不競法2条1項1号の代表的な裁判例である勝烈庵事件(横浜地判昭和58年12月9日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト無体裁集15巻3号802頁)のように、被告が特定地域で営業する小売店・飲食店であった事案では、被告営業地域が狭いため、原告表示の周知性がその限定された地域に及ぶかを判断すれば足りました。被告営業地域と原告表示周知地域が重なるかどうかは、ほぼ「一致するか/全く一致しないか」の二者択一でした。

ところが本件は、その図式が大きく崩れる事案です。

2 事案の概要

原告表示「シェ・ピエール」「Chez Pierre」の4態様
原告表示目録(出典:裁判所ウェブサイト掲載の東京地判平成21年5月14日・平成20年(ワ)第2305号 判決別紙・原告表示目録)

2.1 当事者と表示

  • 原告:株式会社シェ・ピエール。東京都港区で「シェ・ピエール」等の名称(以下「原告表示」)でフランス料理店を経営。同名のレストランはこの一店舗のみ
  • 被告:サントリー株式会社。「シェ ピエール」「CHEZ Pierre」「Chez Pierre」「chez pierre」等の名称(以下「被告表示」)を付したワインを全国販売

2.2 請求

原告は、不競法2条1項1号等に基づき、

  1. 「CHEZ/Chez/chez/シェ」と「PIERRE/Pierre/pierre/ピエール」を組み合わせた表示の使用差止め
  2. 各被告表示を使用したワイン容器等の廃棄

を求めました(損害賠償請求はなし)。

2.3 被告商品の特徴

被告ワインは「家庭で気軽に楽しむワイン」というコンセプトの安価な商品(ボトル1本870円)。平成19年3月から全国販売が開始され、雑誌広告、駅構内広告、ホームページでの宣伝の下、同年12月末までに1万3000ケース(15万6000本)が販売されました。

つまり、被告の営業地域は全国、その需要者はフランス料理に格別の興味のない一般消費者まで含むものでした。

3 争点と裁判所の判断

3.1 主な争点

本件の核心は、全国販売の被告に対し、東京の一店舗を経営するにすぎない原告がどう周知性を主張するかでした。

3.2 裁判所の判断(請求棄却)

東京地裁は、原告の主張がそもそも成り立たないことを次のように整理しました。

① 周知性の判断対象は「全国の一般消費者」

被告商品は全国販売の安価なワインで、需要者は「全国的な(特定の地域に限られない)、かつ、フランス料理やフランス料理のレストランに格別の興味を持っている者に限られない一般的な消費者」である。

したがって、原告表示が周知であるためには、全国の一般消費者の間で広く認識されていることを要する。

② 全国的周知性の不存在

原告は次の主張をしていましたが、いずれも全国的周知性を基礎づけるには不十分とされました。

  • 原告レストランは東京都港区の一店舗のみ
  • 提供するワインを市販している事実なし
  • 「シェ」「ピエール」という各原告表示は識別力が弱い
  • 雑誌記事・レストランガイドでの取り上げも「多数の飲食店のうちの一つ」として紹介されたにすぎない

裁判所は「各原告表示が全国的な一般消費者に周知であることを認めるに足りない」として請求を棄却しました。

3.3 原告の戦術ミスとの指摘

判旨は、原告自身が「東京都心部に居住・通勤・通学し、フランス料理に関心がある一般人の間」での周知性ではなく、全国の一般消費者に対する周知性を主張していたことに注意を払っています。原告がより限定された需要者層・地域での周知性を主張していれば、結論が違った可能性もある――そう示唆する記述といえます。

4 本判決の射程――「被告営業地域の一部での周知性」という論点

4.1 被告営業地域の認定の枠組み

学説の整理では、被告営業地域の認定は次のように傾向化しています。

  • 被告が小売の場合:被告店舗所在地をそのまま営業地域とする
  • 被告が製造業の場合:商品の最終販売場所を被告営業地域とする
  • 被告がサービス業の場合:基本的にサービスの提供場所を被告営業地域とする

本件では被告が製造業(ワインの全国販売)であり、被告営業地域は全国と認定されました。

4.2 被告営業地域を分断して差止めを認めうるか

ここで興味深い理論的問題が浮かび上がります。被告の営業地域が広域である一方、原告表示の周知性が被告営業地域の一部に限られる場合、被告営業地域を分断し、原告表示の周知性が認められる地域に限って差止めを認めることはできないか――という問いです。

仮にこれを認めれば、本件でも「東京都港区またはその周辺に限り、被告は『CHEZ Pierre』ワインを販売してはならない」という主文があり得たかもしれません。

4.3 関連裁判例の対比

このテーマを考える上で示唆的なのが、次の二つの裁判例です。

ジェットスリムクリニック事件(静岡地判平成2年8月30日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト 知的裁集23巻2号567頁・請求認容)

  • 原告(静岡県内)と被告(全国展開、静岡県内に2店舗)が美容瘦身業を運営
  • 美容瘦身業は地元密着型で、新聞折込みチラシ等地域限定メディアが広告の中心
  • 静岡県内での被告2店舗のみ別名を付すという地域限定差止めを認容しても、需要者に著しい混乱は生じない

湯本スプリングスカントリークラブ事件(福島地いわき支判平成2年2月27日 判不競874ノ316ノ1頁・請求棄却)

  • 原告・被告ともゴルフ場経営
  • 被告営業地域は福島県いわき市・茨城県・東京都、原告表示の周知地域は東京都のみ
  • ゴルフ場は広範囲に薄く需要者がいる業種で、主要広告媒体は全国誌
  • 東京都だけ別名で宣伝・運営する措置は、被告に著しい不利益を与える

4.4 本件の位置づけ

評釈の整理によれば、被告営業地域を分断して地域限定の差止めが許容されるのは、地域限定差止めをしても需要者に混乱を与えず、被告に著しい不利益を与えない程度に原告表示の周知性が地域的広がりを持つ場合です。

この観点から本件をみると、

  • 被告ワインは全国流通商品
  • 東京都に限定した別名製造には特別の作業コスト(限られた地域・数量のために多大な費用)がかかる
  • 主要広告(テレビCM、全国紙)は地域分断ができない

これらの事情から、シェ ピエール事件は前掲・湯本スプリングスカントリークラブ事件と同様、差止請求を全部棄却せざるを得なかった事案と整理されます(評釈・時井真)。

もっとも、原告表示がさらに広域(例:首都圏全体)で周知であれば、首都圏に限定した差止めが認容される余地もあったかもしれません。実際、大阪地判平成12年10月12日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト(平成10年(ワ)9655号)では、原告表示が大阪府・京都府・兵庫県・奈良県・滋賀県・和歌山県で周知である事案で、被告に同地域での地域限定差止めを認めた例があります。

5 実務への示唆

5.1 原告側の戦略――「需要者層」と「地域」の主張設計

本件最大の教訓は、原告側の主張設計の重要性です。

不競法2条1項1号における周知性は、「需要者」の認識を問うものですが、誰を需要者と捉えるかで結論が大きく変わります。原告が「全国の一般消費者」での周知性を主張してしまうと、裁判所はそのレベルで周知性を判断せざるを得ず、結果として原告に不利な判断につながりがちです。

逆に、地域限定・需要者層限定で周知性を主張すれば、その範囲で周知性が認定された場合、地域限定の差止めが認容される余地が出てきます。

5.2 判決主文の地理的範囲の明示

評釈は、被告営業地域の一部に限定して差止めを認める場合、主文中で差止めを認める地域的範囲を明示するのが望ましいと指摘します(前掲・ジェットスリムクリニック事件のように)。

これは、被告には差止めの及ばない営業地域が存在することを明確化するためです。当事者の訴訟活動も、地理的範囲をめぐる主張立証を尽くすべきこととなります。

5.3 知財法を学ぶ方への視点

本件は、不競法2条1項1号の周知性の地域的範囲をめぐる典型的事例として、関連裁判例(ジェットスリムクリニック・湯本スプリングス)と並べて学習する価値があります。被告の業態(小売店/製造業/サービス業)によって被告営業地域の認定枠組みが異なる点、そして地域限定差止めの可否が「需要者の混乱」「被告の著しい不利益」という比較衡量で決まる点は、本号の運用を理解する上で押さえておきたいポイントです。

6 まとめ

本判決のポイントを整理します。

  1. 判旨の核:被告が全国販売の流通商品である場合、原告表示の周知性は被告の需要者全体(全国の一般消費者)について判断されるため、東京都内の一店舗のみという原告には全国的周知性の立証が極めて困難
  2. 理論的射程:被告営業地域を分断して原告表示が周知の地域に限定して差止めを認める枠組みは、地域限定差止めが需要者を混乱させず被告に過度の不利益を与えない場合に限り許容される
  3. 実務的教訓:原告側は需要者層・地域を限定した周知性主張を設計すべきで、漫然と全国的周知性を主張するのは戦略的に危うい

不競法2条1項1号は、「ある表示にどれだけ周知性があるか」だけでなく、「その周知性が被告の営業地域とどう重なるか」という二段階で考える必要があります。シェ ピエール事件は、その二段階構造を具体的事案に即して示してくれた、実務的に示唆の多い一本です。

出典・参考裁判例

参考文献:時井真「類似表示使用者の営業地域の一部での周知性」商標・意匠・不正競争判例百選〔第2版〕67事件、田村善之『不正競争法概説〔第2版〕』〔2003〕150頁、小野昌延編著『新・注解不正競争防止法〔第3版〕(上)』〔2012〕275頁〔芹田幸子=三山峻司〕、野上誠一=大門宏一郎「差止請求において地理的範囲・法的範囲が問題となる場合の主文のあり方」L&T別冊4号54頁。

※本記事は法的アドバイスを提供するものではなく、一般的な情報提供を目的としています。具体的な法律問題については、弁護士にご相談ください。

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