不正競争防止法
2026/07/22

オートフォーカス顕微鏡組立図事件を読み解く――「あれば便利」な図面は営業秘密か

「うちの製品は、過去の図面なんかなくても、技術者の経験と腕で一から作れる」――。元従業員側の被告がそう主張したとき、原告企業はどう反論すればいいでしょうか。

不正競争防止法上の営業秘密の三要件のうち、有用性は意外に争いになります。ここで「ないと作れない」レベルの情報でなければ営業秘密として保護されない――そんな厳しい基準を採ると、CADデータや組立図といった「あれば便利」な情報は守れなくなってしまいます。

今回取り上げるオートフォーカス顕微鏡組立図事件(東京地判平成28年4月27日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト 平成25年(ワ)第30447号)は、この「あれば便利」レベルの情報の有用性を肯定した、実務にとって重要な一本です。


判断構造図

1 有用性とは何か

1.1 営業秘密の3要件のおさらい

不正競争防止法2条6項は、営業秘密の要件として以下の三つを掲げます。

  • 秘密管理性:秘密として管理されていること
  • 非公知性:公然と知られていないこと
  • 有用性:事業活動に有用な技術上または営業上の情報であること

「有用性」が認められるためには、その情報が客観的にみて、事業活動にとって有用であることが必要であり、事業者の事業活動に使用・利用されている情報であれば、公序良俗に反するなど保護の相当性を欠く場合でない限り有用性の要件は充足されると、経済産業省の「営業秘密管理指針」(最終改訂令和7年3月31日)は説明しています。

1.2 有用性要件の立法趣旨

ここで重要なのが、有用性要件の立法趣旨は反社会的情報の排除にあるという点です。

たとえば、

といった反社会的な情報は、たとえ保有者が秘密にしたいと希望しても、事業活動に「有用」な情報とはいえません。営業秘密として保護されないというわけです。

逆にいえば、有用性要件は「ハードルを高く設定するための要件ではない」。学説の多数説(田村善之、渋谷達紀、茶園成樹、土肥一史ら)も、有用性は反社会的情報を保護対象から除外する趣旨であり、事業活動に積極的に有用であることまでは要求しないと解釈しています。

1.3 ネガティブ情報も「有用性」あり

この発想を象徴するのが「ネガティブ・インフォメーション」の扱いです。過去の失敗した研究データは、それ自体は使えませんが、これを知ることで「同じ失敗を繰り返さずに済む=無駄な研究開発費を節約できる」ため、有用性のある情報とされます。

また、当業者であれば公知情報の組み合わせで容易に作出できる情報であっても、有用性は失われません。有用性は、特許法の「進歩性」とは無関係なのです。

2 事案の概要

2.1 当事者と本件情報

  • X社(原告):精密機械の製造販売を業とする会社。主力製品は2ラインセンサ方式のオートフォーカス顕微鏡、自動式マイクロスキャニングステージ、レーザオートコリメータ。
  • Y(被告):かつてX社の従業員。元のX社従業員らと設立した競合会社の取締役に就任。

Yは退職時に、X社の主力製品3品目に関する組立図・部品図・部品表の電子データ(本件データ)を持ち出していました。

2.2 X社の請求

X社は、Yの本件データ持出行為が不正競争防止法2条1項4号(営業秘密の不正取得行為)にあたると主張し、

  1. 同法3条1項に基づく本件データ使用の差止め
  2. 同法3条2項に基づく本件データおよび印刷図面の廃棄
  3. 就業規則上の懲戒解雇事由該当を理由とする退職金の不当利得返還

を請求しました。

2.3 Yの反論

Yの反論はシンプルでした。

X社が製造販売する製品は、基本工学系理論等と、技術者個々人の技能・経験に基づいて再現可能なものである。だから、製品の設計図面等のすべてが「技術上の情報として有用」であるとはいえない。

つまり「経験豊富なエンジニアなら、白紙からでも作れる。だから図面に独自の有用性はない」という主張です。本件データの有用性と非公知性の双方を争いました。

3 裁判所の判断

3.1 請求認容(差止め・廃棄)、退職金返還は否認

裁判所は、本件データの差止請求と廃棄請求は認容、退職金返還請求は棄却しました。

3.2 有用性の判断

判決は、有用性について次のように判示しました。

確かに、基本的な光学理論の知識と、従業員の能力、経験をもってすれば、過去に製作した製品の図面等が無くとも、顧客の要望に応じた製品を設計、開発、製造することができるというのであるが、X社は、過去に製作した図面等をそのまま用いたり、あるいはCADソフトで修正を施したりして、設計、開発に要する期間を短縮するなどしているのであるから、基本的な光学理論と従業員の能力、経験をもって一から製品の設計、開発、製造ができるとしても、なお本件データが事業活動に有用な技術上の情報であるとの認定は左右されない

ポイントを整理すると:

  • Yの主張(理論+経験で一から作れる)は事実として認める
  • しかし、X社は実際には過去の図面をそのまま使ったり、CADで修正したりして、開発期間を短縮していた
  • だから、「一から作れる」としても、本件データが事業活動に有用な技術上の情報であるという結論は変わらない

3.3 非公知性の判断

非公知性についても裁判所は本件データを肯定しました。X社が作成する図面のうち、

  • 構想図、外観図、結線図 → 顧客に開示される
  • 組立図、部品図、部品表 → 顧客に開示されない

として、後者の本件データは非公知性を満たすと判断しました。

3.4 退職金返還請求は棄却

退職金については、就業規則に「既に支給した退職金の返還を求めうる」旨の明示規定がなかったこと、退職金が賃金の後払い的性格も有することから、X社の不当利得返還請求は棄却されました。

4 本判決の意義──有用性の「敷居」を下げる

4.1 有用性の「オーソドックスな解釈」

本判決の重要な意義は、有用性要件の解釈について経産省指針および学説多数説に沿うオーソドックスな枠組みを採用した点にあります。

すなわち、

  • 有用性は反社会的情報の排除を主眼とする
  • 「あれば便利」レベルの情報でも有用性を満たす
  • 経験で一から作れる情報でも、設計・開発期間の短縮効果があれば有用性あり

という整理です。

4.2 「特許法の進歩性レベル」を要求した裁判例との対比

他方、有用性を否定した裁判例の中には、対象情報を「設計的事項にすぎない」「臨界的な意義がない」として、ほぼ特許法の進歩性と同程度のレベルを要求するかに見える判示をしたものもあります。代表例は次のとおりです。

(1) 大阪地判平成20年11月4日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト(発熱セメント体事件) 炭素の混合重量割合等の7種の情報を、「当業者の通常の創意工夫の範囲内において適宜に選択される設計的事項にすぎない」「組み合わせても予測外の特別に優れた作用効果を奏するとも認められない」として有用性を否定。

(2) 東京地判平成23年3月2日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト(USBフラッシュメモリ事件) 小型USBフラッシュメモリの外形・寸法等について、「公知のメモリパッケージの寸法も考慮して容量の増大が可能か否かを検討するのは、製造の委託を受けた者であれば、通常の創意工夫の範囲内で検討する設計的事項にすぎない」として有用性を否定。

(3) 大阪地判平成28年9月29日・判決文PDF・裁判所ウェブサイト(車軸事件) 車軸の製作順序・条件等について「公知技術を組み合わせた以上の格別の有用性を認めるに足りる証拠もない」「フレームの板厚を従来より厚くすること自体に有用性は認めがたく、……数字に格別の有用性ないし臨界的な意義があると認めるに足りる証拠もない」として有用性を否定。

これらは特許法の進歩性に近い高度な「効果」を要求しているように読めるため、学説からは批判もあります(石本貴幸「営業秘密における有用性と非公知性について」パテント70巻4号116頁)。とくに、企業実務では「特許出願時に上位概念だけを明細書に書き、具体的な数値等はノウハウとして秘匿する」ことが一般的に行われているため、こうした厳しい有用性判断はノウハウ保護の途を狭めるリスクがあります。

4.3 判例の真意は「効果なき公知の組合せ」の排除

ただし、これらの厳しめ裁判例の真意は、「特許法の進歩性ハードルを取り入れる」ことではなく、「公知技術の組合せ以上の何らの効果もない情報の保護を否定する」ことにあると読むのが穏当です。

「公知の技術の中で特定の数値や条件を特定したに止まり、そこに他と異なる何らの効果も付加することがない情報を保護してしまうと、必要性もないのに、営業秘密の保護を手段として転職や競争が過度に妨げられる」(陳珂羽「営業秘密の有用性と非公知性について」知的財産法政策学研究52号299頁)――この問題意識から、有用性要件を競業不当制限の歯止めとして機能させようとする発想です。

4.4 本判決の実務的価値

本判決は、こうした厳しめの判例の問題意識に配慮しつつも、「期間短縮効果」という具体的経済価値を捉えて有用性を肯定しました。CADデータや組立図といった、現実の企業に大量に存在する「あれば便利な技術情報」が、有用性要件のハードルでつまずかずに済むことを示した点で、実務にとって価値が高い判決です。

5 実務への示唆

5.1 原告(情報保有者)として勝つために

有用性を立証するための論点を整理します。

立証ポイント 具体的な主張・証拠
経済価値の特定 設計・開発期間の短縮効果を具体的時間で示す(「〇〇時間→〇〇時間」)
実利用の事実 CADで修正して再利用している事実をプロジェクト記録で立証
コスト削減効果 図面なき場合の開発コスト試算
反社会性の不存在 情報内容が脱税・談合・違法操業に関わらないことを明示
顧客非開示性 顧客には構想図・外観図のみ提供、内部図面は非開示という運用ルール

5.2 被告(再現側)として勝つために

逆に、被告として有用性を否定する場合は、

  • 公知の組合せにすぎないこと
  • 効果として独自のものがないこと
  • 反社会的情報であること(談合価格、違法操業等)

のいずれかを立証することになります。「経験で一から作れる」という主張は、本判決のように期間短縮効果で覆されるため、それだけでは弱い反論です。

5.3 ノウハウ保護戦略への影響

特許出願時に上位概念だけを明細書に書き、具体的数値はノウハウとして秘匿する戦略は、企業が日常的に採用しています。この戦略を機能させるためには、

  • 秘匿する数値・条件についての実利用記録を残す(どの製品で使ったか、どれだけ効果があったか)
  • 秘匿情報の経済価値を文書化する
  • 秘匿情報を顧客や外部に開示しない運用ルールを明文化する

ことが重要です。本判決の「組立図・部品図は顧客非開示」という運用は、まさに非公知性と有用性の双方を支える実務上の参考になります。

5.4 退職金返還の限界

本件で参考になるもう一つの論点は、退職金返還請求の限界です。就業規則に「既に支給した退職金の返還を求め得る」旨の明示規定がない場合、不正持出行為があっても退職金返還を強制することは難しい――というのが本判決のメッセージです。

退職金返還を視野に入れる企業は、就業規則に明示規定を置くことを検討すべきでしょう。

5.5 知財法を学ぶ方への視点

有用性は短い条文のなかに大きな政策判断を含む要件です。「反社会的情報の排除」という消極的役割か、「価値ある情報の選別」という積極的役割か――本判決と他の有用性否定裁判例を比較すると、裁判官による役割設定の差が見えてきます。

6 まとめ

最後に本判決のポイントを整理します。

  1. 判旨の核:基本理論と従業員の経験で一から設計・製造できる場合でも、過去の図面が設計・開発期間の短縮に役立つなら、本件データは「事業活動に有用な技術上の情報」にあたる
  2. 規範:有用性は反社会的情報の排除を主眼とする要件であり、特許法の進歩性とは別物。「あれば便利」レベルでも足りる
  3. 実務:CADデータ・組立図・部品図のような「期間短縮型」情報は、実利用記録・経済価値・顧客非開示運用を整えれば営業秘密として守れる

「うちは経験豊富な技術者がいるから、図面なんてなくても作れる」――被告の常套句に対して、本判決は「それでも、図面があれば期間が短縮される。だから有用性はある」という現実的なロジックで応えました。「あれば便利」レベルの情報を守りたい企業にとって、本判決は心強い味方です。

出典・参考裁判例

裁判所HPの判例検索ページから事件番号で検索できます(判例集未登載のため掲載がない場合があります)。

参考文献として、田村善之『知的財産法〔第5版〕』(2010)、渋谷達紀『不正競争防止法』(2014)、茶園成樹編『不正競争防止法〔第2版〕』(2019)、土肥一史『知的財産法入門〔第15版〕』(2015)、経済産業省「営業秘密管理指針」(最終改訂令和7年3月31日)などが参考になります。


*※本記事は法的アドバイスを提供するものではなく、一般的な情報提供を目的としています。具体的な法律問題については、弁護士にご相談ください。*

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