商標権侵害・トラブル対応
2026/08/11

20年近く売ってきた地酒の名でも「先使用権」は認められないのか――周知性のハードルを示した白砂青松事件・知財高裁判決

はじめに

商標登録より前からその名前で商売をしていた者には、「先使用権」(商標法32条1項)という守りがあります。ただしそれには、他人の出願の際、自分の商標が需要者の間に広く認識されていた(周知性)ことが必要です。この周知性のハードルは、どれほど高いのでしょうか。 茨城の酒蔵・森島酒造が平成11年から製造販売してきた日本酒「大観 白砂青松」を巡り、「白砂青松」の商標権者(平成18年出願・平成19年登録)が販売差止め等を求めた白砂青松事件――東京地判平成30年4月27日(平成29年(ワ)第9779号)・判決文PDF・裁判所ウェブサイト、控訴審・知財高判平成30年11月28日(平成30年(ネ)第10045号等)・判決文PDF・裁判所ウェブサイト――で、裁判所は、約7年先行して販売していた酒蔵の先使用権を否定し、商標権者の請求を認めました。 横山大観の絵をラベルに配した結合標章の類否判断(要部抽出)と、先使用権の周知性立証の実際を、両審級の判決から解説します。

前提知識の整理

  • 先使用権(商標法32条1項):他人の商標登録出願前から、不正競争の目的でなく商標を使用し、出願の際にその商標が自己の業務に係る商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されているときは、継続してその商標を使用する権利が認められます。
  • 周知性の程度:先使用権の周知性が、4条1項10号(登録阻止事由)の周知性と同程度を要するか、より緩やかでよいか(一定の地域で足りるか)は、裁判例・学説が分かれる論点です。
  • 結合標章の要部抽出:文字と図形からなる標章では、出所識別標識として強く支配的な印象を与える部分を要部として抽出し、類否を判断できる場合があります(つつみのおひなっこや事件等)。

事案の概要

原告(被控訴人)は、「白砂青松」(標準文字)の商標権者です(指定商品:第33類「日本酒,焼酎,果実酒」等。平成18年4月19日出願・平成19年1月12日登録)。 被告(控訴人)・森島酒造は、横山大観ゆかりの茨城県北部で60年以上「大観」ブランドの清酒を醸す酒蔵で、平成11年10月から、ラベル中央上方に「白砂青松」、左側に「大観」の文字を配し、その下に横山大観の日本画「白砂青松」の絵柄を大きく配した日本酒(被告商品)を製造販売してきました。商標登録出願の約7年前からの使用です。 控訴人標章1(判決別紙より) ※画像は判決文PDF(裁判所ウェブサイト)別紙より引用 被告商品ラベルの写真(判決別紙より) ※画像は判決文PDF(裁判所ウェブサイト)別紙より引用 一審は原告の請求を全部認容。控訴審でも酒蔵側の敗訴は変わりませんでした(差止め・ラベル等の廃棄・ウェブサイトからの標章削除)。 当事者と標章の構成

争点と裁判所の判断

類否――絵が5分の4を占めても、要部は「白砂青松」の文字

控訴審は、ラベル標章の約5分の4を占める風景画(横山大観作「白砂青松」)と文字部分の関係を検討し、まず両者が「明瞭に区別して認識することができる」としたうえで、注目すべき認定をします。
「横山大観作の上記絵画が,原告商標の指定商品「日本酒」の需要者である一般消費者の間に広く認識されるに至っているものと認めるに足りる証拠はないことに照らすと,需要者の多くは,図形部分の風景画は,「白砂青松」の文字部分から連想,想起させる風景を描いたものと認識することはあっても,横山大観作の上記絵画であると認識するものと認めることはできない」
美術界での大観の名声と、日本酒の一般消費者の認識は別問題――という割り切りです。そのうえで、
「控訴人標章1の構成中の「白砂青松」の文字部分は,取引者,需要者に対し,被告商品の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる。」
として「白砂青松」部分を要部と認め、称呼・観念が同一である原告商標との類似を肯定しました。ラベル・裏ラベル・木箱の各標章(標章1〜4)のすべてが類似とされています。

先使用権――「茨城県及びその周辺地域」でも周知といえない

先使用権の判断(控訴審は一審の判断を引用して維持)で、一審が認定した販売実績は次のようなものでした。取引記録の残る5年間(平成22〜27年)の販売数は、720ml瓶が年間平均1580本、1.8L瓶が829本。出願時もほぼ同様と推認される。販売地域は主として茨城県内(日立市・水戸市周辺)。販売開始から出願時までの約6年半で、新聞・雑誌に取り上げられたのは合計4回。取引先への照会回答は10件にとどまり、購入実績を確認できないものも含まれる――。 そして結論です。
「被告標章は,原告商標の登録出願時において,茨城県及びその周辺地域の需要者の間で広く知られていたということはできない。したがって,先使用権が認められるためには一定地域内で広く知られていれば足りるとの被告の主張を前提としても,被告が先使用権を有すると認めることはできない。」
注目すべきは判断の構造です。裁判所は「周知性は一定地域で足りるか」という法律論には立ち入らず、酒蔵側に有利な基準を前提としてもなお周知性が足りない、という認定で決着させました。年間2400本規模・メディア露出4回では、地元での周知にも届かないという厳しい評価です。 酒蔵側は、ラベルや木箱の発注数(計2万枚超)から販売数を立証しようとしましたが、「仕入数は実際の販売数を示すものではない」として退けられました。権利濫用の抗弁(10年以上黙認していたのに今さら権利行使するのか)も、使用の容認や信義則違反を基礎づける特段の事情がないとして認められていません。 先使用権の周知性が否定された5つの理由

実務への影響・ポイント

第1に、「先に使っていた」だけでは守られないことです。先使用権の生命線は出願時の周知性であり、その立証には、販売数量・販売地域・市場占有率・広告宣伝・メディア露出などの客観資料が必要です。本件は、20年近い使用実績のある地酒ですら周知性立証に失敗した事例として、先使用権への過度の期待を戒めます。確実な防御は商標登録であり、ブランドを立ち上げたら速やかに出願するのが原則です。 第2に、立証資料の質の問題です。ラベル発注数は販売数の証明にならない、取引先照会も回答の中身が伴わなければ意味がない――と、証拠の証明力が細かく吟味されました。日頃から出荷記録・販売記録を保存し、メディア掲載を記録化しておくことが、いざという時の周知性立証を支えます。 第3に、著名な美術作品をラベルに使う戦略の限界です。大観の絵はラベルの大部分を占めていましたが、一般消費者がそれを大観の作品と認識するとは認められず、文字部分の要部性を減殺しませんでした。アートとのコラボ商品でも、商標の世界では文字部分が独り歩きすることを想定した権利設計(文字部分の商標登録)が必要です。 第4に、長期共存後の権利行使です。登録から約10年を経ての提訴でしたが、権利濫用の抗弁は認められませんでした。長年の沈黙それ自体は権利行使の障害にならないという判断は、権利者側には朗報、使用者側には「いつ来るか分からないリスク」の警告です。

まとめ

  • 横山大観の絵柄が大部分を占めるラベルでも、一般消費者の認識を基準に「白砂青松」の文字部分が要部とされ、標準文字商標「白砂青松」との類似が認められた
  • 約7年先行する使用実績があっても、年間2400本規模の販売・6年半で4回のメディア掲載では、「茨城県及びその周辺地域」でも周知とはいえず、先使用権は否定された
  • 裁判所は周知性の地域的範囲の法律論に立ち入らず、使用者側に有利な基準を前提としても足りないとする認定で決着させた
  • 先使用権は最後の砦にはなりにくい。ブランドの防御は早期の商標登録と、販売・広告記録の日常的な保存が基本

出典・参考判例

参考文献

  • 小林十四雄編集代表/末吉亙・西村雅子・大塚一貴・三山峻司編著『商標の法律実務――重要判例分析』(中央経済社・2023年)408〜416頁〔田村奈津子〕
  • 平澤卓人「商標権侵害訴訟における商標の類似性要件の実証的研究」知的財産法政策学研究57号(2020年)18頁・24頁
  • 小野昌延原著・三山峻司改訂『新・商標法概説〔第4版〕』(青林書院・2025年)301頁
※本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、法的アドバイスを提供するものではありません。個別の事案については、弁護士にご相談ください。

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