商標権侵害・トラブル対応
2026/08/11

商標権侵害なのに賠償ゼロ――過失の推定(商標法39条)の覆滅を認めた観光甲子園事件・大阪地裁判決

はじめに

商標権侵害が成立すると、侵害者の過失は法律上推定されます(商標法39条・特許法103条の準用)。公報や登録原簿で商標権の存在は誰でも調査できる以上、「知らなかった」では済まされない――これが原則で、実務上この推定が覆ることはめったにありません。
その希少な覆滅例が、高校生向け観光プランコンテスト「観光甲子園」を巡る大阪地判平成29年4月10日(平成27年(ワ)第7787号・損害賠償等請求事件)・判決文PDF・裁判所ウェブサイトです。裁判所は、大会事業の承継を巡る交渉経緯を丁寧に認定したうえで、商標権侵害の成立を認めながら、被告に過失がなかったとして損害賠償請求を棄却しました。
学校法人同士の事業承継が「言った・言わない」の紛争に発展した事案でもあり、組織内の意思決定と対外的な表示のずれが招くリスクを学べる判決です。

前提知識の整理

  • 過失の推定(商標法39条・特許法103条):商標権侵害者は過失があったものと推定されます。侵害者側が無過失を立証しない限り、損害賠償責任を免れません。
  • 推定の覆滅:無過失の立証は極めて困難とされ、フレッドペリー並行輸入事件最高裁判決でも調査義務を尽くさなかったとして覆滅が否定されています。覆滅が認められるのは例外中の例外です。
  • 法人の意思決定:学校法人等の重要事項は理事会決議を要します。担当者レベルの了解と法人としての意思決定が食い違うと、対外的には「許諾があったように見えるが、法的には許諾がない」という状態が生じます。

事案の概要

「観光甲子園」は、高校生が観光プランを競う大会で、平成21年度の第1回から第6回まで、学校法人夙川学院(原告)が運営する神戸夙川学院大学が共催校として事務局を担い、原告が「観光甲子園」の商標も登録していました。原告が6回の大会に投じた経費は約3966万円に上ります。
ところが原告は財政難から大学の学生募集停止を決定し、大会の継続が困難になります。承継先を探す中で、学校法人追手門学院(被告)が浮上。大会実行委員長のP1教授(後に被告大学へ移籍)が中心となって引継ぎが進み、第6回大会終了後の大会組織委員会・実行委員会で共催校の被告への変更が承認され、後援者や文部科学省にも通知され、事務引継ぎでは商標のロゴデータまで被告側に引き渡されました
本件商標(商標権目録記載の登録商標)
※画像は判決文PDF(裁判所ウェブサイト)別紙より引用
本件商標(デザイン版・第2登録)
※画像は判決文PDF(裁判所ウェブサイト)別紙より引用
被告は平成27年2月、ホームページで本件商標を使用して第7回大会を告知。ところが原告は同年5月、突如として商標権の1億円での買取りを提案し、拒否されると使用中止を求める内容証明を送付、損害賠償約4566万円(一部請求)と優勝旗等の引渡しを求めて提訴しました。実は、共催校の変更について原告の理事会決議は一度もされていなかったのです。
事件の経緯(承継交渉から提訴まで)

争点と裁判所の判断

許諾はない――理事会決議を欠くため商標権侵害は成立

裁判所はまず、本件事業は「実質的には原告が主体となって行ってきたもの」であり、共催校の変更は原告にとって「重要又は異例にわたる事項」として理事会決議を要すると判断。決議がない以上、有効な意思決定はなく、「被告は,原告の許諾なく,ホームページにおいて本件商標を使用したと認められるから,これは本件商標権の侵害行為となる」としました。
担当者(P1やP3)による了解や引継ぎがあっても、法人としての許諾にはならない――ここまでは原告の勝ちです。

しかし過失の推定は覆滅される

次に裁判所は、39条の推定の趣旨(商標権の存在・内容は公示されており調査可能であること)を確認したうえで、次の規範を示します。

「侵害行為をした者において,商標権者による当該商標の使用許諾を信じ,そう信じるにつき正当な理由がある場合には,過失がないと認めるのが相当である。」

そして、被告が許諾を信じたことに「正当な理由」があるとする事情を、これでもかと積み上げます。
第1に、原告自身が財政難で承継先を探しており、原告代表者が被告訪問時に「本件事業の承継先が見つかるとよい」と伝えていたこと。第2に、第6回大会後の大会組織委員会――「原案の作成等全て原告の差配の下に執り行われる」「大会としての最高の意思決定の場」――で、原告の理事も出席するなか共催校変更が正式に承認されたこと。第3に、後援者や文部科学省への正式の報告文書が原告事務局の作成で発出されており、「通常は,しかるべき組織的決裁を経ているはずのもの」であること。
そして第4に、ロゴデータの引渡しです。

「通常,登録商標の使用を許諾しない相手方に対して当該商標のロゴのデータを送付するとは考え難い」

実際には、原告側の連絡報告体制は「甚だ不備」で、担当事務職員が承諾書類を数か月間手元に抱えたまま上司に報告していませんでした。しかし被告から見れば、原告内部でも当然に手続が進んでいると期待するのが自然です。結論として、

「被告による本件商標の使用には過失がなかったものと認めるのが相当である。」

とされ、商標使用に関する損害賠償請求は棄却されました。

後継大会の開催自体も違法性・過失なし

原告が問題視した時点では、既に第7回大会が後継大会として関係者に周知され応募を待つ状態であり、「従前の大会との連続性を否定する行動をとることは,極めて困難であった」こと、原告自身は第7回大会の準備をしておらず「被告が開催しなければ第7回大会は開催されなかった」ことから、後継大会としての宣伝・開催行為は「違法性又は過失を欠く」とされました。
結局、原告の請求で認められたのは、第1回大会時に原告が15万4600円で製作した優勝旗・優勝杯の引渡しだけでした。
判断の構造(侵害成立と過失の覆滅)

実務への影響・ポイント

第1に、無過失の抗弁が生きる場面の具体像を示したことです。単なる「知らなかった」「調べなかった」では覆滅は無理ですが、権利者側の言動が許諾の存在を信じさせるに足るものだった場合は別です。本件の考慮要素(権利者側からの働きかけ、権利者関与の公式な承認手続、対外的な公式文書、権利者からの利用素材の提供)は、同種主張を組み立てる際のチェックリストになります。
第2に、権利者側の教訓はより重いことです。法人としての意思決定(理事会決議)を欠いたまま、現場が承認・通知・データ引渡しまで進めてしまえば、後から権利行使しても損害賠償は取れません。事業やブランドを他者に引き継ぐ協議では、①内部の意思決定と対外的表示を同期させる、②商標等の知的財産の帰属・使用条件を承継合意の必須項目にする、③現場担当者限りでロゴデータ等を渡さない――この3点の統制が不可欠です。
第3に、共同事業・大会ビジネスの商標管理です。大会名の商標を共催校の一法人が保有する構造は、共催校交代の際に本件のような紛争を必然的に生みます。南三陸キラキラ丼事件とも通じますが、複数主体で運営するイベントの名称は、運営主体の設計と商標の帰属をセットで決めておくべきです。
第4に、判決の射程の限定です。本判決は民事の損害賠償の場面で、個別具体的な信頼を保護したものです。侵害の成立自体は認められており、差止め等の場面では別の判断があり得ます。また、損害額・権利濫用の争点は「判断するまでもなく」とされ、判断は示されていません。

まとめ

  • 共催校変更に原告の理事会決議がなかったため許諾は認められず、被告のホームページでの商標使用は商標権侵害に当たるとされた
  • しかし、権利者側の承継打診・公式の承認手続・文科省等への報告文書・ロゴデータの引渡しといった事情から、被告が許諾を信じたことには正当な理由があるとして、過失の推定の覆滅が認められ、損害賠償請求は棄却された
  • 後継大会としての宣伝・開催も違法性・過失を欠くとされ、認容されたのは優勝旗等の引渡しのみ
  • 権利者側の組織内意思決定と対外的表示のずれは、権利行使を空振りに終わらせる。事業承継時の知財の取決めと組織統制が最大の予防策

出典・参考判例

参考文献

  • 小林十四雄編集代表/末吉亙・西村雅子・大塚一貴・三山峻司編著『商標の法律実務――重要判例分析』(中央経済社・2023年)266〜273頁〔伊東美穂〕
  • 小野昌延原著・三山峻司改訂『新・商標法概説〔第4版〕』(青林書院・2025年)291頁・353頁

※本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、法的アドバイスを提供するものではありません。個別の事案については、弁護士にご相談ください。

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