はじめに
乳幼児の鼻水を吸い出してあげる「鼻吸い器」は、いまや育児家庭の定番アイテムです。この家庭用鼻水吸引器を扱うHANASUI株式会社が、自社の社名とまったく同じ「HANASUI」の文字商標を出願したところ、特許庁に拒絶され、審決取消訴訟でも請求を棄却されました。それが本記事で扱うHANASUI事件(知的財産高等裁判所第3部・令和8年(2026年)6月16日判決・令和7年(行ケ)第10118号 審決取消請求事件)・判決文PDF・裁判所ウェブサイトです。
はじめに事件の性質を確認しておきます。本件は企業どうしの紛争ではなく、登録を拒絶した特許庁の審決の適否だけを争う行政訴訟です(原告=出願人であるHANASUI株式会社、被告=特許庁長官)。裁判所が判断したのは、同社の出願商標が登録要件を満たすかという一点であり、同社の商品や事業活動の当否が問われた事案ではありません。
争われたのは、「鼻吸い」という日本語をローマ字表記に置き換えれば識別力が生まれるのか(商標法3条1項3号)、そして3期合計で売上約1億6500万円・アマゾンのカテゴリ売れ筋ランキング1位という実績があれば、使用によって識別力を獲得したといえるのか(同条2項)の2点です。EC中心にブランドを立ち上げる企業にとって、ネーミングと商標戦略の急所が凝縮された事案といえます。判決の論理を追いながら、実務上の教訓を整理します。
前提知識の整理
- 商標法3条1項3号:商品の産地・販売地・品質・原材料・効能・用途その他の特性を「普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」は登録できないとする規定で、いわゆる記述的商標の登録を排除するルールです。
- 識別力と独占適応性:識別力(自他商品識別力)とは、その標章を見た需要者が「特定の会社の商品だ」と出所を認識できる力です。3条1項3号の趣旨は、こうした表示が識別力を欠くことに加え、同業者が誰でも使いたい表示を1社に独占させるのは公益上適当でないという点(独占適応性の欠如)からも説明されます(小野=三山・後掲121頁参照)。
- 商標法3条2項(使用による識別力):3条1項3号などに該当する商標でも、「使用をされた結果需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができるもの」は例外的に登録が認められます。後天的に識別力を身につけた場合の救済規定です。
- 審決取消訴訟:拒絶査定に対する不服審判の審決になお不服がある場合に知的財産高等裁判所へ提起する訴訟で、裁判所は審決がされた時点を基準に審決の適否を判断します。
- 標準文字とデザイン書体:文字商標は書体を特定しない「標準文字」でも、独自にデザインした書体でも出願できます。後者では、その装飾が「普通に用いられる方法」を超えるかが問題になります。
事案の概要
原告はHANASUI株式会社(以下「HANASUI社」といいます)です。判決は同社を「京都市を本店所在地として令和4年11月30日に設立された日用品並びにベビー用品の企画、制作および販売等を目的とする資本金100万円の株式会社である」と認定しています。被告は特許庁長官です。以下、判決文の引用および本記事中の図では、HANASUI社を訴訟上の呼称である「原告」、同社の家庭用鼻水吸引器を「原告商品」と表記しています。
本願商標は、「HANASUI」の欧文字を横書きした構成で、標準文字ではありません。判決は書体を「やや縦長で、端部の角を丸めたもの」と認定しており、HANASUI社がデザイナーに依頼して制作したフォントを、文字間隔をやや詰めて配置したものです。指定商品は、出願時の第10類「鼻水吸引器」から、審判係属中の手続補正により第10類「家庭用鼻水吸引器」に補正されました。
※本願商標の見本(判決文PDF 2頁)参照(出典:知的財産高等裁判所ウェブサイト掲載の知財高判令和8年6月16日(令和7年(行ケ)第10118号)判決添付の本願商標)

▲ 図1 出願から判決までの時系列
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 令和4年(2022年)11月30日 | HANASUI社設立 |
| 令和5年(2023年)2月22日 | 商標登録出願(商願2023-18341号) |
| 令和5年(2023年)7月 | HANASUI社商品(原告商品)の販売開始 |
| 令和5年(2023年)11月29日付 | 拒絶査定 |
| 令和6年(2024年)3月7日 | 拒絶査定不服審判請求(不服2024-4080号) |
| 令和7年(2025年)6月3日付 | 手続補正(指定商品を「家庭用鼻水吸引器」に) |
| 令和7年(2025年)10月16日 | 審決(請求不成立) |
| 令和7年(2025年)11月27日 | 審決取消訴訟提起 |
| 令和8年(2026年)6月16日 | 知財高裁判決(請求棄却) |
なおHANASUI社は、本願とは別に、「HANASUI」の文字と図形(灰色と白色の横縞からなるしずくの中に赤色の円を配置したもの)との結合商標について、第10類「鼻水吸引器」を指定商品とする商標権を取得しています(登録第6977853号、登録日 令和7年10月17日)。この点は後述の独占適応性の判断で意味を持ちます。
※原告商標権に係る商標公報(判決文PDF 31〜32頁の別紙)参照(出典:同判決別紙)
争点
- 争点1(取消事由1):本願商標の商標法3条1項3号該当性についての審決の判断の誤り
- 争点2(取消事由2):本願商標の商標法3条2項該当性についての審決の判断の誤り

▲ 図2 争点と裁判所の判断の整理(下段は、文字のみの本願商標と、図形と結合した登録第6977853号の対比)
裁判所の判断
争点1――「HANASUI」は商品の品質・用途の表示にすぎない
裁判所はまず、3条1項3号の趣旨について最高裁判例を引用しました。
商標法3条1項3号に掲げる商標が商標登録の要件を欠くと規定されているのは、このような商標は、指定商品との関係で、その商品の産地、販売地、品質、原材料、効能、用途その他の特性を表示記述する標章であって、取引に際し必要適切な表示として何人もその使用を欲するものであるから、特定人によるその独占使用を認めるのは公益上適当としないものであるとともに、一般的に使用される標章であって、多くの場合自他商品識別力を欠き、商標としての機能を果たし得ないものであることによるものと解される(最高裁昭和53年(行ツ)第129号同54年4月10日第三小法廷判決・裁判集民事126号507頁参照)。
そのうえで、判断基準を次のように定式化しています(判断は商標の構成と指定商品に関する取引の事情を考慮して行うものとされています)。
・・・出願に係る商標が、その指定商品について商品の品質又は用途を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標であるというためには、審決がされた時点において、当該商標が当該商品との関係で商品の品質又は用途を表示記述するものとして取引に際し必要適切な表示であり、当該商標の需要者、取引者によって、当該商品に使用された場合に、将来を含め、商品の品質又は用途を表示したものと一般に認識されるものであれば足りると解される。
基準時が審決時であること、「将来を含め」認識されれば足りるとされていることが要点です。
そして裁判所は、取引の実情として次の3点を認定しました。
- 「鼻吸い」の語が、小児医療・育児の現場で「乳幼児について吸引器で鼻水を吸い出してあげる処置」を指す語として広く使用されていること
- 自宅で用いる器具は「鼻水吸引器」のほか「鼻吸い器」(「鼻すい器」「はな吸い器」とも表示)と称されて広く市販・流通しており、「鼻吸い」と略称されることもあること
- 商取引において、商品名や品質・用途表示を漢字・平仮名・片仮名から欧文字に変換して表記することが一般に広く行われていること
3点目が本判決の要です。日本語の一般的な語をローマ字に置き換えても、需要者・取引者は元の日本語を読み取る、という実情が認定されました。結論は次のとおりです。
本願商標は、その指定商品との関係で商品の品質又は用途(「鼻吸い」に用いられる器具であること)を表示記述するものとして取引に際し必要適切な表示であり、・・・商品の品質又は用途を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標であるから、商標法3条1項3号に該当する。
HANASUI社の反論は、いずれも退けられました。
(ア)デザイナー制作のオリジナルフォントである
しかし、商品に標章を表示する際にデザイン化が施されたフォントを用いる例が一般にみられることからすれば、本願商標に用いられるフォントをもって、取引者において一般的に使用する範囲にとどまらない特殊なレタリングを施したものとまでいうことはできない。
(イ)「HANASUI」という表記が現実に使われている例はない
裁判所は、3号該当性は将来を含め品質・用途表示と一般に認識されるものであれば足りるとしたうえで、「それが一般に用いられていた実情があったことまでを要するものではない」と述べました。同業他社が現に同じ表記を使っている実情までは不要とされたわけで、出願人にとっては反証が難しい構造です。
(ウ)HANASUI社自身が図形との結合商標の登録を得ているから独占の弊害はない
原告商標権に係る商標は、本願商標と同一の文字列と図形(灰色と白色の横縞からなるしずくの中に赤色の円を配置したもの)との結合商標である。その外観は、図形部分が強い印象を与える一方で、文字列部分は、その指定商品である「鼻水吸引器」の用途を意味する語として広く用いられている「鼻吸い」の表音をローマ字表記したものと認識されることから、文字列部分のみで出所識別機能を有するものとは直ちにいい難い。
図形と結合した商標の登録は、文字部分だけを独占できる根拠にはならないという整理です。
争点2――裁判所は企業努力と「ある程度の周知性」を認めたうえで、「全国的」な認識には至らないとした
出願に係る商標が同条2項に該当するか否かは、使用に係る商標ないし商品、使用開始時期及び使用期間、使用地域、商品の販売数量、広告宣伝のされた期間、地域及び規模等の諸事情を総合考慮して判断するのが相当であり、当該商標が自他商品識別力を獲得したというためには、永年使用されることにより、特定の者の出所表示としてその商品の需要者の間で全国的に認識されるに至っていることを要するものと解するのが相当である。
裁判所が認定した使用実績は次のとおりです。
| 項目 | 認定内容 |
|---|---|
| 販売開始 | 令和5年(2023年)7月から |
| 出展・受賞 | 令和6年7月「ベビー&キッズEXPO」出展/令和5年度キッズデザイン賞審査委員長特別賞受賞 |
| ランキング | 令和6年7月15日にアマゾンの「ベビー>ベビーケア・バス>鼻吸い器」カテゴリ売れ筋ランキング1位、令和7年11月時点で4位又は5位 |
| 売上金額 | 令和5年度(7〜12月)約3029万円/令和6年度約7956万円/令和7年度(1〜11月)約5527万円(合計約1億6500万円) |
| 販売個数 | 合計4万8644個 |
| 市場占有率 | 原告試算で約7.5% |
| 広告費 | 令和5年度約565万円/令和6年度約1538万円/令和7年度約1147万円(アマゾン・楽天市場に限る) |
| レビュー数 | アマゾン約800件、楽天市場約1000件 |
ここで重要なのは、判決の判断が二段構えになっていることです。裁判所はまず、HANASUI社の企業努力とその成果を、次のとおり積極的に認定しています。
前記⑵で認定した事実によれば、原告の企業努力により、原告商品は、ベビー用品市場において、家庭用鼻水吸引器の一つとしてある程度の周知性を獲得しているものと推認し得る。
つまり、同社の努力や商品の評価が否定されたわけではありません。裁判所が認めなかったのは、3条2項が要求する水準――特定の者の出所表示として需要者の間で「全国的に認識されるに至っている」こと――にまでは届いていない、という一点です。
原告商品は、本件審決がされた時点までに発売開始から2年程度の販売実績しかない比較的新しい商品であり、しかも、その流通経路はインターネット通販サイトであるアマゾン及び楽天市場に限られ、令和7年11月までの販売個数も4万9000個に満たない程度であることに照らせば、家庭用鼻水吸引器の需要者層(前記1⑶のとおり、乳幼児を育児中の保護者に加え、花粉症やアレルギーによる鼻水や鼻づまりの症状に悩む大人も含む一般消費者)に広く行き渡っているといえるようなものではない。
広告宣伝についても、二つの通販サイトにおけるものに限られ、「令和7年11月までの広告費用の合計額も3250万円と多額であるとまではいえない」ことから、需要者層に広く知れ渡る規模ではなかったとされ、結論として「本願商標が原告の出所表示として、家庭用鼻水吸引器の需要者の間で全国的に認識されるに至っているものと認めることはできない」と判断されました。
なおHANASUI社は、自社商品が主に想定する需要者に限って判断すべきだとも主張しましたが、裁判所は、3条2項の判断は指定商品の需要者の間で識別力を獲得しているかによるとして、「原告商品が主に想定する需要者に限って上記該当性を判断すべきとする原告の主張は、採用の限りでない」としました。本件では需要者層に「花粉症やアレルギーによる鼻水や鼻づまりの症状に悩む大人も含む一般消費者」が含まれると認定され、母集団が広く設定されたことが結論を左右しています。
意義・射程

▲ 図3 商標法3条1項3号・3条2項の判断フロー
- ローマ字化・欧文字化は識別力を生まない。核心は、日本語表記を欧文字に変換する表記が商取引で一般に広く行われている、という実情の認定にあります。記述的な日本語をローマ字に置き換えただけの標章は、元の日本語と同じ意味に読み取られる、という筋道です。
- 他社が現に使用している実情までは不要。3号該当性は「将来を含め」品質・用途表示と認識されるかで判断されます。またオリジナルフォントでも「特殊なレタリング」と評価されるハードルは相当に高く、出願人が挙げがちな2つの反論がいずれも通らないことが示されました。
- 図形結合商標の登録は文字部分の独占を基礎づけない。裏を返せば、記述的な語を使いたい場合に図形との結合で保護を確保するルートは現実的な選択肢だということでもあります。
- 3条2項の「全国的」水準の重み。裁判所は、HANASUI社の企業努力とベビー用品市場での「ある程度の周知性」を認めています。そのうえで判断を分けたのは、①販売期間が2年程度と短いこと、②流通経路が2つの通販サイトに限られること、③販売個数が4万9000個に満たないこと、④広告費3250万円もその媒体が同じ2サイトに限られることでした。「ある程度の周知性」と「全国的な認識」の距離を示す典型例であり、事業としての成功と3条2項の登録要件とが別物であることが分かります。
- 射程の限界。本判決は審決時(令和7年10月16日)を基準に判断したものであり、今後さらに使用実績が積み上がった場合の評価について判決は判断していません。
実務への影響・ポイント
(1)ネーミング段階で「日本語一般語のローマ字化」検査を行う。 候補名をローマ字から日本語に逆変換し、商品の用途・効能・品質を表す一般語にならないかを確認します。「HANASUI」→「鼻吸い」のように業界で普通に使われる語に戻る名称は、3条1項3号のリスクが高いと考えるべきです。
(2)社名を決める前に商標調査を済ませる。 商号登記と商標権は別制度であり、社名として登記できても同じ文字列を商標として独占できるとは限りません。会社設立の準備と商標調査は同時並行が安全です。
(3)その語を使うなら図形との結合で権利化する。 本判決は、HANASUI社が現に有する結合商標の登録自体を否定していません。ただし守られるのは結合商標全体であり、文字部分だけを他社に対して独占できるわけではない点を社内で正確に共有しておく必要があります。
(4)3条2項に頼る戦略の費用対効果を見積もる。 売上約1億6500万円・広告費3250万円・カテゴリ1位・受賞歴でも足りませんでした。とくに流通経路が特定の通販サイトに限られることが消極に働いた点は、EC専業ブランドにとって重い意味を持ちます。複数チャネルへの拡大は、販売戦略であると同時に商標戦略でもあります。
(5)需要者の母集団は自社の想定より広く設定され得る。 自社が乳幼児の保護者を想定していても、指定商品の需要者は花粉症等に悩む大人を含む一般消費者まで広がると認定されました。指定商品の書き方が需要者の範囲に影響し得る点も、出願設計上の論点です。
まとめ
- HANASUI事件は、HANASUI株式会社が社名と同じ「HANASUI」を家庭用鼻水吸引器について出願したところ、商標法3条1項3号に該当し同条2項にも当たらないとして、拒絶審決が維持された事案である(被告は特許庁長官であり、企業間の紛争ではない)
- 「鼻吸い」が育児・小児医療の現場で広く使われる語であり、商取引では日本語表記を欧文字に変換する実務が一般的であることから、ローマ字表記にしても識別力は生まれないとされた。オリジナルフォントも「特殊なレタリング」とは認められなかった
- 3条2項について、裁判所はHANASUI社の企業努力によりベビー用品市場で「ある程度の周知性」を獲得したことを認めたうえで、販売期間・流通経路・広告規模を理由に「全国的に認識されるに至っている」とまではいえないと判断した。同社の努力や商品の評価が否定されたわけではない
商品の用途を連想させる分かりやすい名前は、消費者に伝わりやすい反面、商標として独占できない可能性が高いという二面性を持ちます。ブランドの価値は売れてから守るのではなく、名前を決める段階から設計するもの。ネーミングの魅力と権利化の可否を同じテーブルで検討することが、後戻りのコストを避ける最短ルートといえるでしょう。
商標の出願前調査、ネーミング案の識別力の見立て、拒絶理由通知への意見書対応、拒絶査定不服審判や審決取消訴訟の見通しなど、商標をめぐるご相談は虎ノ門法律特許事務所へお寄せください。事業計画と販売チャネルの実情を踏まえ、権利化の可否と代替案(図形との結合、指定商品の設計、使用実績の積み上げ方)まで含めてご提案します。
出典・参考判例
本件
- HANASUI事件:知財高判令和8年6月16日・令和7年(行ケ)第10118号 審決取消請求事件(知的財産高等裁判所第3部)・判決文PDF・裁判所ウェブサイト
本文で言及した関連判例
- 最判昭和54年4月10日・昭和53年(行ツ)第129号(裁判集民事126号507頁)※商標法3条1項3号の趣旨を述べた判例。
参考文献
- 小野昌延原著・三山峻司改訂『新・商標法概説〔第4版〕』(青林書院・2025年)121〜126頁、133〜145頁
本記事は法的アドバイスを提供するものではなく、一般的な情報提供を目的としています。具体的な法律問題については、弁護士にご相談ください。