ストリートファッションの世界では、平和を象徴するピースマーク(☮)をモチーフにしたデザインが数多く見られます。もしこのピースマークが商標登録されていたら、デザインの一部にピースマークを取り入れることは商標権侵害になるのでしょうか?
この問題について正面から判断を示したのが、ピースマーク事件(東京地判平成22年9月30日・平成21年(ワ)第30827号)です。人気ストリートブランド「A BATHING APE」のパーカーの図柄にピースマークが含まれていたことが問題となりました。本記事では、この事件を通じて、商標法における「商標的使用」の考え方を解説します。
商標の本質は「出所識別」にある
商標とは、商品やサービスの出所(どの会社が提供しているか)を示す標識です。消費者がブランド名やロゴを見て「この商品はあのメーカーのものだ」と認識する――この出所識別機能こそが、商標の本質的な役割です。
商標権者は、登録商標を指定商品について独占的に使用でき、第三者の無断使用を排除できます(商標法25条、36条、37条)。しかし、ここで重要なポイントがあります。形式的に登録商標と同一・類似の標章が商品に使われていても、それが出所識別機能を果たす態様で使用されていない場合には、商標権侵害にはなりません。
これが「商標的使用論」と呼ばれる考え方です。もともと裁判例の蓄積によって確立された法理ですが、平成26年の商標法改正により、商標法26条1項6号として明文化されました。同号は、「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができる態様により使用されていない商標」には商標権の効力が及ばないと定めています。
ピースマーク事件の概要
当事者と経緯
原告Xは、ピースマークに似た図形からなる商標(本件商標)を「被服」等を指定商品として登録していました。
被告Yは、人気ストリートブランド「A BATHING APE」を展開する会社です。Yは、パーカー等の前身頃に、2匹の猿のキャラクター(「BABY MILO」と雌の猿)を中心に据えた図柄を配し、その背景の一部としてピースマークに類似するY標章を模様的に描いていました。図柄には「*A BATHING APE®」「APE SHALL NEVER KILL APE」という文字も含まれていました。
【判決の別紙について】 本判決の別紙(裁判所HP・添付文書)には、Y標章が表された図柄の画像が掲載されています。2匹の猿のキャラクターが中心に配置され、その背景にピースマーク類似の標章が小さく模様的に散りばめられている様子を実際に確認できます。本件の争点を視覚的に理解するうえで非常に参考になりますので、ぜひご覧ください。
Xは、Yの行為が商標権侵害に当たるとして、販売差止めと損害賠償を求めました。これに対しYは、Y標章は専ら装飾的・意匠的効果により「平和」を表すために使用されており、衣類の商標が一般に付されるタグ等にはYの著名商標や名称が表示されているため、出所識別機能を果たしていないと反論しました。
争点
Y標章をパーカーの図柄の一部として使用する行為は、商標としての使用(商標的使用)に当たるか。
裁判所の判断――商標権侵害を否定
東京地裁は、以下の理由からY標章の使用は商標的使用に当たらないとして、Xの請求を棄却しました。
1. ピースマークの社会的認知
本件商標もY標章も、「平和」の象徴として一般に広く認識されているピースマークの図形と外観が類似しています。そのため、需要者はY標章を見たとき、特定の商品の出所ではなく「平和」の象徴として認識します。
2. 表示の位置と態様
Y標章は、図柄の中で猿のキャラクターの「背景の一部として模様的に描かれている」にすぎません。図柄全体の主役はあくまでBABY MILOと雌の猿のキャラクターです。
3. 他の出所識別標識の存在
「A BATHING APE」のブランド名と「BABY MILO」のキャラクターは、少なくとも被服等に関心のある若者層の間で広く認識されていました。需要者はこれらのキャラクターから「商品の出所の識別標識として強く支配的な印象を受ける」一方、Y標章からは出所を想起しません。
4. 一般消費者についても同じ結論
被服に特に関心のない一般消費者においても、ピースマークが「平和」の象徴として広く知られていること、キャラクターが中心に配置されY標章が背景に模様的に描かれていることから、Y標章を出所表示とは認識しないと判断されました。
商標的使用の判断で考慮されるファクター
本判決およびその他の裁判例から、商標的使用に当たるかの判断では、以下の要素が総合的に考慮されています。
- 登録商標の周知性・識別力の強さ
- 標章の表示位置・態様 ――本件で重要な要素。背景の一部か、中心的な位置か
- 標章に対する需要者の認識 ――本件で重要。ピースマークは「平和」の象徴と認識
- 標章に関連する背景・取引実情 ――本件で重要。ピースマークの社会的意味
- 使用商品での商標の一般的表示箇所 ――衣類ではタグ等が一般的
- 商品に表示されている他の商標の有無 ――本件で重要。BABY MILOが支配的
本件では特に②③④⑥のファクターが重視されました。
「装飾的使用」と「商標的使用」の関係
本件で注目すべきは、標章が商品表面に大きく表示される「装飾的使用」であっても、直ちに商標的使用が否定されるわけではないという点です。
裁判例では、商標と意匠は排他的・択一的な関係にあるものではなく、意匠となりうる模様等であっても、自他識別機能を有する標章として使用されている限り、商標としての使用に当たるとされています(大阪地判昭和62年3月18日ルイ・ヴィトン事件)。
つまり、装飾的に使われているからといって自動的に商標的使用が否定されるのではなく、あくまで個別の事案ごとに、出所識別機能を果たしているかを検討する必要があるのです。
表現物の一部としての商標的使用
本件のように、標章が図柄などの表現物の一部を構成している場合、商標的使用の判断は、結合商標において構成要素の一つが独立して商標として機能しうるかの判断と同様の検討を要します。
つまり、表現物全体の中で、当該標章が他の構成要素との関係でどの程度の識別力を持つかが問われます。他の要素が強く支配的な印象を与える場合でも、当該標章が単独で商標として機能するかについての検討は必要であり、本件でもその検討がなされた上で商標的使用が否定されています。
実務へのポイント
デザイナー・ブランド側の方へ
- ファッションアイテムのデザインに他者の登録商標と類似する図形を使用する場合、出所識別機能を果たさない態様であれば侵害とならない可能性があります
- ただし、自社ブランドの商標を明確に表示し、問題の図形が単なる装飾・背景にすぎないことが客観的にわかる態様にすることが重要です
- ピースマークのように社会的に広く認知された図形であるかどうかも、判断を左右する大きな要素です
商標権者の方へ
- 自社の登録商標が装飾的・模様的に使われている場合、商標的使用に当たらないとして侵害が否定される可能性があることを認識しておく必要があります
- 権利行使に際しては、相手方の使用態様を詳細に分析し、出所識別機能を果たしているかを慎重に検討することが重要です
知財法を学ぶ方へ
- 商標的使用論は、商標法の本質的機能を理解するための最重要論点の一つです
- 「装飾的使用=商標的使用に当たらない」という単純な図式ではなく、複数のファクターの総合考慮による判断であることを押さえましょう
- 平成26年改正で新設された商標法26条1項6号との関係も重要です
まとめ
ピースマーク事件は、ファッションアイテムの図柄の一部としてピースマークに類似する標章を使用する行為が、商標的使用に当たらないとして商標権侵害を否定した事例です。裁判所は、ピースマークの社会的意味、標章の表示位置・態様、需要者の認識、他の強力な出所識別標識の存在を総合的に考慮して判断しました。
この判決は、商標の本質的機能は出所識別にあるという原則を改めて確認するとともに、表現物の一部を構成する標章の使用について、商標的使用の判断基準を示した重要な事例として位置づけられます。
出典・参考判例
- ピースマーク事件(東京地判平成22年9月30日・平成21年(ワ)第30827号)判時2109号129頁、判タ1354号223頁
- 大阪地判昭和62年3月18日(ルイ・ヴィトン事件)無体裁集19巻1号66頁
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