はじめに——事業移管のどさくさで顧客名簿が渡ってしまったら
会社の解散や事業譲渡、業務の移管といった局面では、従業員がまとめて別の会社に移り、顧客対応の引継ぎのために情報がやり取りされます。その中で、営業秘密である顧客情報が正規の手続を経ずに移籍先に渡ってしまうことがあります。受け取った側は、どの時点から、どのような責任を負うのでしょうか。 本記事で取り上げるレジスター販売先顧客情報事件(知財高判平成27年2月19日・平成25年(ネ)第10095号、判決文PDF・裁判所ウェブサイト)は、メーカー系列の販売会社の顧客情報が、業務移管に伴って別の販売会社に渡り、そこで使われ続けたことをめぐる事件です。営業秘密を直接持ち出した者ではなく、それを受け取って使った会社と役員の責任(転得者の責任)が問われ、損害額の算定方法についても一審と控訴審で判断が分かれました。 この記事では、①営業秘密と転得者責任の枠組み、②事件の経緯、③裁判所の判断、④損害額の考え方と実務上のポイント、を解説します。前提知識——営業秘密の不正開示と転得者の責任
- 営業秘密(不正競争防止法2条6項):秘密として管理されている(秘密管理性)、事業活動に有用な(有用性)、公然と知られていない(非公知性)技術上または営業上の情報です。顧客名簿は営業上の情報の典型です。
- 不正開示行為(2条1項7号・8号):営業秘密を示された者が、不正の利益を得る目的や保有者に損害を加える目的で開示する行為、または秘密を守る法律上の義務に違反して開示する行為です。従業員が就業規則や誓約書の秘密保持義務に反して社外に持ち出す行為がこれに当たります。
- 転得者の責任:不正開示があったことを知って、または重大な過失で知らずに営業秘密を取得し、使用・開示する行為は8号の不正競争です。取得の時点では知らなくても、取得した後に不正開示があったことを知り、または重大な過失で知らないまま使用・開示する行為は9号の不正競争になります。本件で問題になったのは9号です。
- 取引の安全:取引によって営業秘密を取得した者が、取得時に不正開示の介在を知らず、知らないことに重大な過失もない場合には、その取引で取得した権原の範囲内で使用・開示することが認められています(19条1項7号。判決当時は6号)。
事案の概要
原告(被控訴人)は、レジスターや電光表示器などを扱うメーカーの系列販売会社です。被告(控訴人)は、同じメーカーの完全子会社である別の販売会社(TOWA)と、その代表取締役X1、取締役X2です(メーカー自身も一審で被告とされましたが請求棄却が確定しています)。 平成21年5月、メーカー側は業績低迷を受けて販売会社の統合を計画し、原告に対しTOWAへの事業譲渡を打診しました。協議は譲渡条件で折り合わず中断と再開を繰り返し、平成22年2月には原告が解散方針を表明しましたが、顧客からの提訴や労働基準監督署の勧告が重なり、従業員31名のうち23名が退職届を提出する事態になりました。原告は同年4月1日以降の営業活動を断念し、従業員の引受けと緊急性の高い顧客対応業務の一時的な引受けをTOWAに依頼しました(本件移管)。 その移管の準備の中で、原告の管理部総務課長Aは、顧客への通知書を発送するため、顧客管理パソコンから別のパソコンに2万6378件の顧客情報を複製させました。Aはこのパソコンに顧客情報が残っていることを上司に報告せず、そのパソコンをTOWAに引き渡すことが社内会議で決まった後も、データを削除しませんでした。4月1日、顧客情報が入ったままのパソコンがTOWAに引き渡され、A自身もTOWAに入社しました。以後、顧客情報はTOWAの本店と柏支店で営業活動に使われました。 同年8月下旬、原告の代表者は顧客情報が無断で使われていることに気づき、AやX1に問い質しましたが、X1は使用を止める対策をとらず、X2はAに対し「顧客情報があってもいいだろう」などと述べて使用を承認しました。 原告は、TOWAとX1・X2に対し、不正競争(2条1項4号〜9号)による損害賠償として1億1000万円等を請求しました。一審(東京地判平成25年10月17日・平成23年(ワ)第22277号、判決文PDF・裁判所ウェブサイト)は、顧客情報の価値相当額の利益を失ったとして5296万6100円の支払を命じ、被告側が控訴しました。
争点
- 本件顧客情報は営業秘密に当たるか
- X1・X2の行為は2条1項9号の不正競争に当たるか。TOWA自身の責任はどうか
- 損害の発生と損害額の算定方法
裁判所の判断
争点1:顧客情報は営業秘密に当たる
原告は、顧客情報を管理部の専用パソコン1台に集約してパスワードで管理し、アクセスできるのは管理部の従業員4名だけで、他の従業員が必要とする場合には書面で申請して必要な情報だけをCD等で受け取る運用にしていました。管理部の部屋は施錠と警備装置で立入りが制限され、就業規則等で守秘義務を課し、研修で周知していました。裁判所は、被告側が指摘したパスワードの不変更などの管理の不徹底があっても直ちに秘密管理性が失われるものではないとして、秘密管理性を認めました。2万6378件の販売先の名称・住所・連絡先・販売時期・製品・価格・リース期間等からなる情報は、残りリース期間の短い顧客を抽出して買替えを勧めることで効率的に販売できるものであり、有用性と非公知性も認められ、営業秘密に当たると判断されました。争点2:Aの不正開示と、指摘を受けた後の使用継続
裁判所はまず、Aの行為について次のように述べました。「Aによる上記一連の行為は,秘密を守る法律上の義務に違反して,被控訴人の営業秘密である本件顧客情報を控訴人TOWAに開示する行為であるというべきであるから,不正競争防止法2条1項8号に規定する不正開示行為に該当するものと認めるのが相当である。」そのうえで、X1とX2については、販売会社の顧客情報は通常のれんの一部を構成する営業上の秘密情報であること、両名が事業譲渡交渉や移管作業に関与していたこと、原告が顧客情報を明示して開示する手続をとっていないことなどから、顧客情報が原告の営業秘密であるとの認識を有していたとしました。そして、平成22年8月下旬に原告代表者から問い質されたにもかかわらず使用を止める対策を講じず(X1)、報告を受けても使用停止を指示せず使用を承認した(X2)ことから、遅くとも同年9月以降、Aの不正開示によって顧客情報が開示されたことを知って、または重大な過失により知らないで顧客情報を使用したものとして、両名の行為は2条1項9号の不正競争に当たると判断しました。X1・X2の行為はTOWAの職務を行うについてされたものであるから、TOWAの不正競争にも当たるとされています。 被告側は、原告は移管前に事業停止状態にあり競争関係がないから9号は適用されないと主張しましたが、裁判所は「不正競争防止法2条1項9号は,法文上,営業秘密の冒用者と被冒用者との間の競業関係の存在を要件としていない」として退けました。
争点3:損害額——「価値相当額」ではなく「使用料相当額」
一審は、不正競争がなければ原告は顧客情報をその価値相当額でTOWAに譲渡できたはずだとして、その額を損害と認めました。控訴審は、この構成をとりませんでした。 まず、侵害者の利益を損害額と推定する5条2項については、原告が平成22年4月以降メーカー製品の営業販売活動を行っていない以上、被告らが顧客情報を使わなければ原告が利益を得られたという関係にないとして、「推定規定の適用の前提を欠いている」と判断しました。 次に、営業秘密の使用に対し受けるべき金銭の額を損害額とする5条3項3号について、原告は「6年間に得られたであろう限界利益=顧客情報の価値」を主張しましたが、裁判所は次のように述べました。「同法5条3項3号の損害額は,「当該侵害に係る営業秘密の使用に対し受けるべき金銭の額に相当する額」であって,「営業秘密の価値に相当する額」ではない。」そして、営業秘密の重要性、侵害の態様、侵害者の利益、両者の営業関係などを総合考慮し、原告の元営業担当者がTOWAの柏支店に複数勤務しており顧客情報によらずとも一定の契約成立を見込めたこと、被告らの行為は共謀して不正取得したものではなく、開示された情報を後に知って使用したという態様にとどまることなどを挙げて、次のように結論づけました。
「被控訴人が本件顧客情報の使用に対して受けるべき対価の額に相当する額は,控訴人X1及び同X2について前記不正競争行為が認められる平成22年9月1日から平成28年3月31日(中略)までの間に,控訴人TOWAが柏支店における本件顧客情報に基づく販売活動により獲得する売上高の3パーセントとするのが相当である。」期間の終期は、顧客の多くが6年間のリース契約を利用しており、移管から6年後まではリプレイス販売等を期待できることを根拠としています。柏支店の対象期間の売上高(実額と推計の合計)3億3681万5013円の3%=1010万4450円に弁護士費用100万円を加えた1110万4450円が損害額とされ、原判決はこの限度に変更されました。民法709条に基づく請求も、この額を超える損害は認められないとされています。
| 項目 | 一審(東京地判平成25年10月17日) | 控訴審(知財高判平成27年2月19日) |
|---|---|---|
| 損害の構成 | 顧客情報を価値相当額で譲渡できたはずの逸失利益 | 営業秘密の使用に対し受けるべき金銭の額(5条3項3号) |
| 算定方法 | 顧客情報の価値相当額 | 柏支店の対象期間売上高×3% |
| 対象期間 | ― | 平成22年9月1日〜平成28年3月31日 |
| 認容額 | 4815万1000円+弁護士費用481万5100円=5296万6100円 | 1010万4450円+弁護士費用100万円=1110万4450円 |
判決の意義と射程
第1に、営業秘密を直接持ち出した者ではなく、それを受け取った会社と役員の責任を、9号(取得後に不正開示を知った場合)で認めた点です。取得時に知らなかったとしても、保有者から指摘を受けた後に使用を続ければ、その時点から不正競争になります。責任の起点が「指摘を受けた時」に置かれたことは、警告を受けた側の対応の重要性を示しています。 第2に、損害額の算定について、顧客情報の「価値相当額」という構成を否定し、「使用料相当額」を売上高に対する割合で算定した点です。顧客情報のような営業上の秘密は、技術上の秘密と異なりライセンスの実例が乏しく、使用料相当額の算定基準に乏しいと指摘されてきました。本判決は、営業秘密の重要性・侵害態様・侵害者の利益・元従業員の関与などを総合考慮して料率を定めた具体例として参考になります。 第3に、法改正との関係です。判決当時、侵害品の譲渡数量を基礎に損害額を算定する5条1項は技術上の秘密に限定されていましたが、令和5年改正でこの限定が削除され、顧客名簿のような営業上の秘密についても同項が適用され得るようになりました。現在であれば、損害の構成にはさらに選択肢があります。実務への影響・ポイント
- 情報を受け取った側:事業譲渡や業務移管に伴って他社の顧客情報が自社に入ってきた場合、その情報がどのような手続で提供されたのかを確認し、正規の譲渡・開示の合意がなければ使用を控えるべきです。保有者から指摘を受けたときは、直ちに使用を停止し、削除や返還の対応をとることが、9号の責任の発生を防ぎます。役員が使用を承認すれば個人責任も生じます。
- 情報を保有する側:秘密管理性の立証には、アクセス制限、施錠、守秘義務規定、研修の実績が有効です。事業移管の際には、どの情報をどの範囲で開示するのかを覚書等で明示し、パソコン等の引渡し前にデータを確認する手順を設けるべきです。本件では、緊急避難的な移管の中で確認手順が抜け落ちたことが情報流出の原因になりました。
- 損害額の主張:営業秘密の価値そのものを損害と構成するのは認められにくく、使用料相当額や侵害者の利益を基礎にした構成が現実的です。令和5年改正後は5条1項の活用も検討対象になります。
まとめ
レジスター販売先顧客情報事件は、元従業員が持ち込んだ顧客情報を、不正開示があったことを知りながら使い続けた会社と役員の責任を認め、損害額を使用料相当額(売上高の3%)で算定した判決です。営業秘密の転得者は、取得時の認識だけでなく、その後に指摘を受けてからの対応によって責任を負います。事業譲渡や業務移管の場面で他社の情報を扱う際の注意点と、営業上の秘密に関する損害額算定の考え方を示す先例として、実務上の意義は大きいといえます。出典・参考判例
- 知財高判平成27年2月19日・平成25年(ネ)第10095号〔レジスター販売先顧客情報事件〕・判決文PDF・裁判所ウェブサイト
- 東京地判平成25年10月17日・平成23年(ワ)第22277号〔同一審〕・判決文PDF・裁判所ウェブサイト
- 不正競争防止法2条1項8号・9号、2条6項、5条1項〜3項、19条1項7号(e-Gov法令検索の現行法で照合)
参考文献
- 大阪弁護士会友新会編『最新 不正競争関係判例と実務〔第3版〕』(民事法研究会、2016年)465〜471頁
- 小野昌延・松村信夫『最新 不正競争防止法概説【下巻】』(青林書院、2025年)282頁、293〜296頁、308〜309頁
- 経済産業省知的財産政策室編『逐条解説 不正競争防止法』(令和6年4月1日施行版)
免責事項
本記事は、裁判所ウェブサイトで公開されている判決情報および一般的な法律情報に基づく一般的な情報提供であり、個別の事案に対する法的アドバイスではありません。実際の対応にあたっては、必ず弁護士にご相談ください。▶ 具体的な対応の進め方は「営業秘密の持ち出し・漏えい対応」で解説しています。

この記事の執筆・監修
虎ノ門法律特許事務所 代表
弁護士・弁理士 大熊 裕司
第一東京弁護士会所属(登録番号:37803)・日本弁理士会所属。商標・不正競争防止法をはじめとする知的財産紛争に注力し、警告書対応から審判・訴訟まで一貫して取り扱う。